事実 と 結果 と 成果 と 評価

MonaKA(モナカ)です。

 

 

 

今日のテーマは、タイトルからして、

 

硬っ(漢字強めっのイメージ)ビックリマークっていう内容ですネ うさぎ

 

 

そしてこの、4つの二字熟語の羅列を見て、

 

その瞬間、まずどのような感覚がしましたか?または感情が湧き出ましたか?

 

 

 

 

ちなみに、わたくし、モナカは、自分で書きながら

 

できれば 笑

 

極力、見たくない、または、考えたくない、

 

方向(方面)の単語の羅列だと思いましたし、思いますニコ 笑

 

 

 

しかし、それは私の素直で正直な感覚であり、感想でもありますが、

 

それ(極力、見たくない、または考えたくない)が

 

私、モナカにとっての、最終的な判断も含めた、結論や決断(信念)

 

ではありません。つまり、私(モナカ)の、その時の反応ですね。

(※「信念」の意味は、正しいと信じる自分の考え(グーグル辞書)です。)

 

 

特にSNS上など、コミュニケーションの「キャッチボール」不全の根本的原因あるある。。

 

ですけれどもニコニコビックリマーク

 

今、目にした情報のみで、まるで全てを判断したかのような返答を、

 

なげてしまいがち。。という点ですね。

 

もちろん、その情報を見た時の気持ちや感情も、大事な反応です。ビックリマーク

 

 

 

その反応自体も重要なコミュニケーションの1つの素材にはなりますので

 

コミュニケーション自体が成立しないわけではありません。

 

しかし、それは、あくまで、「自分の反応」であるという自覚があると、

 

まるですべての判断かのような結論や決断(自分の信念)までには至らないと思うのです。

 

逆をいうと、それは、自分の「反応」であるという自覚がないと、

 

自分の反応を、それは自分の信念だと、

 

自分が自分に刷り込んでしまう可能性も高くなってしまいます。。うさぎあせるビックリマーク

 

(※「反応」=「自分の信念」である場合も、もちろん大いにあると思います。

しかし、そうではない場合も大いに考えられます。それくらい人間は、毎日毎日、

自分以外の判断や感覚についてジャッジする瞬間が多いからです。

または、コミュケーションがある分だけ、ジャッジされる瞬間にいるということでもあります。

まして、今の情報化社会において考えるとその機会は断然に日々増えています。

引きこもり問題の根本原因も解決策も、この状況の近辺にあると、私は考えています。)

 

 

 

もちろん、現実のコミュニケーションにおいても、意外と、よくよく考えなおすと、

 

日常あるあるなシチュエーションを思い起こすことができるのでは

 

と思います。照れ

 

 

 

 

ここで、タイトルに戻りますねニコニコ

 

 

「事実 と 結果 と 成果 と 評価」

 

1つ1つの二字熟語が、単体で独立して意味を持っています。

 

 

このタイトルをつけた、私のブログ記事では、

 

ぜんぶでひとつのイメージとして、タイトルをチョイスしました。

 

 

ですので、この記事では、

 

ぜんぶでひとつ です。

 

これは、この記事においての、私の表現です。

 

 

 

 

例えイメージはひとつだとしても、

 

 

実際は、1つ1つの単語や存在がありますよね。

 

 

 

その上で、この記事の、この時点で、

 

 

それで、モナカさん、、、何が言いたいのか、よくわからやん。

 

 

ってちょっと思われたかたもいるかも? ショボーン汗

 

 

ですよね。私の表現力も、大いに含めWチューラブラブ

 

 

そういう可能性も多大にあるとは想います。キョロキョロラブラブ

 

 

ですので、もうちょっとお付き合いください爆  笑ラブラブ

 

 

 

もちろん^^

 

 

私がこうして、前提でいろいろ書いたことによって

 

 

真剣に読んで考えてくれた方もいるかもしれません!いや、そういう方とのご縁が

 

たくさんあればよいなと思って書いておりますがっ!!爆  笑ラブラブ

 

 

※根本はその上でも自由な発想、視点で書くつもりです(^^♪)

 

 

 

私のこのブログの趣旨としても、基本的には、心のサプリメントになるような

 

内容を軸にしていくつもりです。

 

タイトルに挙げた、4単語の熟語(事実 結果 成果 評価)は、

 

単一の存在であっても、特に学習(教育面)や仕事(ビジネス面)に特化した表現であると考えます。

 

 

年代や経験、直近の情勢状況も含めた感覚によっても、

 

人それぞれの状況は想定できますし、するべき範疇がありますが

 

人の人生とは、平均的、またはそれ以上の社会の中で生きることを想定するならば、

 

ある程度切っても切れない関係にあると考えられます。

 

「平均的」という概念を想定することも、

 

人の人生において、実際には現実的ではなく、難しいことです。

 

あくまで統計的に世界を判断する意味で流用した表現であることを

 

総合的なイメージとして表現したことをご考慮ください。ニコニコ

 

 

 

 

その意味は、どれほどAIが発達しようとも

(AIの発達は今後も期待値がある分野でもありますが)、

 

本当に人間が人間として生きる意味は、生身の人だからこそ、永遠に規則も法則も、

 

想定もない(AIは常にそれをも想定して学ぶのだが)生き方を大事に、

 

いかほど生きれるかだとも思ったりしたりします。照れ

 

 

 

現実は、事実も 結果も 成果も 評価も

 

全てが絡み合い、自分が納得できるような環境に出会うことは、

 

実際、現実リアルの社会一般的にも、

 

それは、なかなか、、出会うことも難しいことだと考えられます。

 

 

難しくて当然なんです。

 

 

けれども、

 

 

だからこそ、あえて、ひとつのイメージでタイトルにしました。

 

 

 

その意味の先にあることは、なんだろうかおねがい

 

 

 

 

自分の、これからの未来の時間も含めた「タイトル」でもあります照れ

 

 

 

 

最初の、私の純粋な「反応」を

 

 

思いだした上で(思いだして 爆  笑あせる笑)、

 

私の今のこの記事の最終的な表現を、

 

どう受け取ってもらえただろう。

 

 

 

 

それが、私にとって、この記事に込めた大事な意味です照れ

 

Complex

MonaKA(モナカ)です。

 

 

 

 

今日のテーマは、Complex  についての話をしてみたいと思います。ニコニコ

 

 

タイトルを、「Complex」 と、あえて英単語で表記したのには、意味があります。

 

 

日本語でコンプレックスというと、「劣等感」という意味合いで使われるのが、通常認識ですね。

 

 

実際、私自身も、日常会話やコミュニケーション上、普通にそう利用している単語です。

 

 

ですが、実際は、「Complex(コンプレックス)」とは、日本の国語辞典において、その意味は、複合的な、と記されています。

 

グーグル国語辞典には、精神分析用語、複雑な、複合の、込み入った、手間のかかるに加え、日本での「劣等感」の意味合いも記されています。

 

類語辞典には、「劣等感」の洋語的表現と記されています。

 

 

つまり、日本で浸透している意味と、世界で使われている意味は、同じ音でも、同じではないですね。

 

 

グローバルな社会に進みつつある昨今では、たとえ単語1つでも、無視できない重要なテーマのひとつになるのではないかと思い、チョイスしてみました。ニコニコ

(コロナ禍の要因で、実際では、国と国の人の行き来は停態していますが、それによってオンライン等の交流環境が、大幅にジャンルを超えて浸透したことで、むしろ、感覚においてはグローバル化は、実質的にはずっと進んでいるのではないかと思います。)

 

 

 

しかし、複合的なもののなかに、劣等感は含まれるわけですから、

 

Complex = 劣等感 ではないけれど、

 

Complex ⊃ 劣等感  (⊃ 含む)

 

ですから、Complex が劣等感を示すという意味も間違いではありません。

 

 

 

 

元々の感覚の相違によって、ややこしくなりかねませんのであせる

 

 

まずは、相違的意味を表記させていただきましたニコニコ

 

 

 

 

そこで、本題に入りますねニコニコ

 

 

皆さまにとって、「劣等感」とは、自分にとって、直接的に、どのような存在感がありますか?

 

 

 

隠したいもの?

 

 

恥ずかしいもの?

 

 

情けないもの?

 

 

克服したいもの?

 

 

見たくない(無いことにする)もの?

 

 

考えたこともないもの?

 

 

 

 

一番最後を選ぶ人は、かなりなツワモノですね爆  笑ビックリマーク

(自分に自信があることと、劣等感がないことととは全くベツモノですので)

 

 

実際には、たとえ選ぶ人がいたとしても、本当の意味で、そういう人間は、まず存在しないといっても過言ではないかと、私は思いますニコニコ(人に伝える表現と、自分の中にあり、存在し続けるモノ、、とは、必ずしも一致し続けるということはあり得ませんからキョロキョロあせる

 

 

 

ちなみに、私自身、最後の表現のような、「私は劣等感を持っていません」と言っている人を、見聞きしたことはありませんけれどねニコニコビックリマーク

 

 

 

しかし、少なからず、できれば隠したいものであったり、失くしたい(克服したい)ものであったりすることは、多大に感じたりするものだとも思います。

 

 

もれなく、私自身も自分の劣等感については、そうですから。

 

 

しかも、一言で、「劣等感」といっても、自分がそう、思っていることが、自分以外でも共通というわけでもないところが、またもう一つ、ややこしい感覚でもありますね。

 

自分は「劣等感」だと思っていることが、人からは「魅力的」であったり、自分が「魅力的」だと思っていることが、人からは、自分が思っているほどでもない、なんてことは、その人、の人間性だけにとどまらず、大小、どのような場面や、状況だけにおいても、存在する話だと思います。

 

 

 

それは、何故かうさぎ!?

 

 

 

つまり、日本語の単語でいえば、

 

紙一重」という単語がぴったりなのでは。

 

 

と思ったりします。

 

 

つまり、表と裏ですね。

 

 

少し前に、

kokorsapull.hatenablog.com

「ホンネ」と「タテマエ」という記事をかきましたが、

 

 

本当に多くのジャンルで、その、「紙一重」は存在し続けますが、実際の現実事象でいえば、

 

日中(昼)、と 夜間(夜) を示す代表、「太陽」と「月」がありますよね。

 

 

 

宇宙の惑星そのものを示すと「太陽」 と 「月」 ですが、

 

 

私たち人間が、それらに関与するとき、

 

太陽、または、月灯りによって、自分たちから分かれるものは、

 

 

「自分たちの存在そのもの」と、その灯り(光)が映しだす、「影」です。

 

 

 

実際の事象でありますが、光があるときは常に自分とつながって見得ています。影は、光がないときに、確認することができませんが、もちろん、常にそこにあります。表裏一体とはよくいうものですね。

 

 

 

「影」のことを、シャドーといいますが、

 

心理学の中では、この「シャドー」をComplex として扱うことも少なくありません。

 

 

つまり、とても複雑で複合的という意味ですね。

 

そういう意味で、実際に自分の中にある感覚だけれど、自分が表面上生きてこなかった自分(の感覚)、として捉える考え方もあります。

 

 

 

悩みや劣等感は、辛いものです。

 

 

キレイゴトではありません。

 

 

誰もの中にあって、

 

 

そして、その人にしか分からない苦しみそのものです。

 

 

もちろん、私自身にもたくさんあります。無気力

 

 

 

 

 

だからこそ、今、ここにいる、わたしニコニコ

 

 

 

そして、感じ、考え、生きているわたしニコニコ

 

 

 

その意味を、いつも大事にしたいと思っています照れ

 

 

その為には、Complex とは、いつだってそばにあるものだと、

 

いや、むしろ常に表裏一体って考えれば、そして心から尊重できていれば、

 

強大で広すぎて、時に「意識」に対してなど、全く寛容ではない「無意識」の世界の自分(自分で在っても、簡単にコントロールなどそもそもできない)が、自分の意識のコントロールなどではない力を、時には、貸してくれるのではないかと、私は思います照れ

(この世の中にもリスペクトするべく、素晴らしい感覚や事象、もちろん、人も多くいらっしゃいます。実際本当に多くいらっしゃいます。しかし、それと、何かの能力とが、必ずしも同義かといえば、必ずしもそうではないのではないか、あくまで、私はベツモノだと思っています。 素晴らしいのは、能力ではなく、やはり、その感覚や事象、その人そのものだと感じます。照れ

 

 

以上です!

 

今日もありがとうございました。ニコニコラブラブ

 

 

 

鬱(うつ)について

MonaKA(モナカ)です。

 

 

 

 

今日は、鬱(うつ)についてのお話をしたいと思います。

 

 

その前に、改めて、私のこのブログの趣旨に触れさせていただきたいとも思い、その部分、少々お時間を頂けたらと思います。

 

 

『心のサプリメント ~自然治癒力向上推進~』

 

というタイトルに込めた想いは、人は、誰しも表面に見えるものばかりでなく、強い部分も、弱い部分も、存在して当然であり、同時に弱ったとしても、元々自分の免疫力から、回復力も自分の中に備わっている。

 

 

という点です。

 

そこで、

 

改めて、「鬱」という、この文字をみて、

 

皆さまはどんなことを、感じられたり、思いだしたりされますか?

 

 

私はカウンセラーでもあり、心理学も学んでいて、その立場でこのブログを書いていますから、もちろん、「鬱」から、浮かぶこと、考えられること、といえば、「うつ症状」「うつ病」のことが、まっさきに思い付きます。

 

 

 

しかしビックリマーク

 

全くそのような視点を外し、純粋に、この文字をみて思うことは他にあるかといえば、キョロキョロビックリマーク

 

 

思いついたのが、漢字の覚え方!でした。爆  笑あせる 笑ビックリマーク

 

 

 

漢字の勉強は嫌いではなく、成人してからも個人的に漢検なども受けてきたため、「鬱」という読みはできても、書く!となれば、ちゃんと覚えなくちゃなりません。めっちゃ画数多っビックリマーク覚える時も、そういえばビックリマーク めっちゃ難しい!どうやって覚えよう、、ってなったなぁ、、って思いだしてました^^;

 

 

それで活用したのが、覚え方ねニコニコ

 

 

リンカーンは、アメリカンコーヒーを三杯飲んだ」結構検索すると見られる語呂合わせなのですが、この文字を見てもらえば、なるほど、って思う方も多いと思いますが、私もこのイメージでの覚え方は、かなり助かりました。

 

 

 

全く『鬱』という語源や意味とは、そもそも関係ないゴロ合わせですけれどね! 笑

 

 

心のことを書く為にこのブログを描いている為?当然その想いが前面にも全面にも基本的にはあるのですが、

 

そういう枠に限らず、本当に純粋にどんなイメージや感覚を感じたり、思いだすことも、何より大事にしたい、という思いも、タイトルに込めている思いでもあります。

 

 

そこにこそ、私たちの本来の力(の源や、起源の原石)が、ある、のではないか、と思うからです照れ

 

 

たとえ、どうでもいいような話のように思えても 爆  笑ラブラブ 笑

 

 

 

 

「鬱(うつ)」という、実際には大きく、重く、大変難しい視点である為、その話の本題の前に、ありえる、別の視点も少し加えてみました。

 

 

上記の目線も含め、誰もが、誰にどう見得ようが、自分の人生(単語1つにとっても、何をどう見るか、どう感じるか、どう表現するか(すべきか)等まで、自分の目線や生き方を)は必死に生きています。それが、人生ではないかと、私は思っています。

 

 


たとえば、んー、そうですね、例えば、こうして、ブログを書くなど、自分が考えられる自分の意思を表現するという自分の意識もそうですが、こうした、意識の表明の場、に限らず、私たちは、自分の意識のみで、この命を生きている、と考えがちです。

 

というよりは、そう認識する以外難しいのが現実でもあります。

 

しかし、実際には、意識よりも、無意識の世界が多大の大きいということは、よく言われる”知識”のお話です。

 

 

私は、そんな”知識”のお話だけではなく、自分にも意識できる、ほんとうの無意識の世界を、もう少し感じられるとも思うのです。

 

 

あたりまえのこと、ですけれど、

 

自分の意識もそうだし、身体の中の心臓は常にその人を生かす為に生まれてから死ぬまで

永遠に、心臓(ある意味大きい意味では無意識とも言える現物)は、鼓動を毎秒打ち続けています。

この身体が生きる為に。(この身体を生かす為に)

 

自分に、元々、備わっている大事なものです。

 

そして、誰もの身体に。照れ

 



哲学的な目線のことだけだと捉えると、その人の話って、どこか論理的で、知識に傾倒したナルシシズムとか、自己満足っ世界観があるかもしれない。正直自分も全くなかったといえば、あったかもしれない。ですが、研究の基本はそこを経て、今までも今も、きっとこれからも、私たちの日常に活かされている。その違いやあり方をそもそも分けないと、理解や存在の意味も当然分かるわけもないのだろうと思います。私は現在研究職にはついておりませんが、本というものが、どうしてこんなに学びが多いのか(あたりまえっちゃそうだけどWW)を冷静に、改めて原点に返って思うことがあります。



たとえば、うつ気分の解消、の前に、そうなるかそうならないか、を自分で自分を知る為にも、日記を書くとか。ブログとかじゃなく、ちょっとした、手帳に数行など。人の目線は元々気にならない方なら、その手段がブログという形やSNSでもいいかもしれませんが、、おそらく、本当の意味では、きっと(他人の目線が入ると)しんどくなると思うので、笑

本当に自分の心のケアの為に記録するのならば、通常的に考えても、本当にクローズなところに書き止めるのが一番お勧めですねニコニコ 後は、ただの事実を書くことと、純粋に思ったこと、そして、自分のできなかったことばかりではなく(それが事実であれば、事実の部分に残す程度で)、どんな些細なことでも、その日、できたこと、を大事に残して書くことも大事にされてください。照れ


私のブログの、タイトルからしても、

 

本来は、ここから上の部分がメインに書きたいこと、

 

なのですがニコニコ

 

 

 

 

 

 

ここからは、また別視点としての本題として書きます。

 

カウンセラー目線での、「鬱(うつ)」についてです。

 

 

 

 

 

「鬱」というと、「うつ病」のイメージもありますが、それ以前に、「うつ気分」や「うつ症状」というものがあります。

 

現在、「うつ病」とは、病気の分類ではありますが、しかも、厳密に細かく分けていくと、さらに多彩な要素が絡む病気もありますので、簡単には分けられないのですが、心の風邪と表現されるほど、本当に誰でもいつ、かかってもおかしくない病気と位置付けられているほどです。

 

 

さらに、「うつ病」までいかずとも、私たちは、常に、

 

「うつ気分」や「うつ症状」を日常感じて過ごしたりします。

 

 

その状況が、どのレベルで、どの程度継続したかによって症状の判断がされる、それくらい、心の病気の中では、本当に誰もが身近にある、病原菌を自分も常に持っていると捉えていい病気なんなんです。

 

 

日本はまだまだ、メンタル面での医療に対する、敷居の高さや不安、ネガティブイメージが先行してしまい、症状が悪化した時点で仕方なく受診に至る、というケースが多いのが現状であると考えられます。

 

 

 

もちろん、病状によって、何でも薬物に頼ることがいいわけでないことは、どの病気でもいえることですが、

 

 

まず、状況を整える為に最低限必要な、治療が必要な場合はあります。

 

 

 

私たち、カウンセラーは、そういった、中間の立場としても、医師ではないので診断はできませんが、状況によっては、その時に良いと思われる状況を話し合い、提案をすることが重要な役目であります。

 

 

「うつ病」厚生労働省

 

うつ気分、うつ症状は、特別の状況や出来事にによって、誰にでも常に起きて当然の状態であることは先にも書きましたが、

 

それがどれくらい、持続して続くかも、「うつ病」に進んでいくかも。

 

 

いわば、のどが痛いとか、悪寒がしたりはするけど、早めに対処してなんともなかったか、そのまま、風邪として症状がでてしまうか。

 

現実は、身体も心も、その人の捉え方、受け取る状況によって、そのような言語化では、決してぬぐえない「辛さ」があります。当然ですが。あくまで、総合的イメージです。

 

 

多くの病院様等、調べれは内容は確認は可能です。

 

ですが、実際は本当に身体に顕著に顕れるような辛さがある場合等は、どうぞ、まずは、行きつけの内科に、相談から、紹介を頂くことも含め、身体の状況を知る為にも受診をお勧め致します。

 

 

 

 

 

 

 

以上ですビックリマーク

 

 

 

今日もありがとうございましたニコニコラブラブ

 

 

「ホンネ」 と 「タテマエ」

MonaKA(モナカ)です。

 

 

 

そして、今日のテーマは、

 

 

日本語の、学習、、ではありませんよニコニコ (笑)?

 

 

 

前回に引き続き、単語が対応するようなタイトルですが^^

 

 

もちろん、こちらも、日本語の学習というよりは、日本語から広がる日本人の慣習?

 

に近いイメージも含めて、一瞬、日本語(文化)の感覚に関わる感じですよね。

 

 

ですが、「本音と建前」は日本はもちろん、”その感覚”自体は、人間が存在する以上、どの国にも、つまり、どの人(人間)にも、当然どこにでも誰にでもあると考えられます。

 

 

しかし、日本という文化は、その意味合いが歴史的文化の中でも、日常の感覚、社会的ソーシャル感覚においても、いまだ、根本においては、特に、色濃く残っている分野も多いと考えられます。

 

日本語を普段使っている私たちにとって身近な感覚ですよね。

 

 

しかし、

 

学習として学ぶ必要もなく、その意味も理解できているのに、

 

このことでストレスもたまったりしてしまうなど。

 

決して無視できない問題ではないかと私は思っています。

 

 

 

 

そこで、全く視点を変えますが、

 

 

みなさんは、映画や舞台劇場などは好きですか?

 

私は映画が大好きでよく見に行くんです。

 

 

 

映画の中の物語は、中には実話を基にしたものもありますが、

 

もちろん、多くのジャンルが存在しますから、その、ほとんどが

 

脚本による作画のストーリーですよね。

 

 

 

けれど、自分の過去と全くどんな設定も一致しなくとも、何故か感動したり泣けてしまう物語はありますよね?

 

 

それこそ、ファンタジー系など、現実に考えて、物語のストーリー自体が現実に存在しえない設定や、そもそも実在しないアニメの世界の物語などなど。

 

 

なのに、どうして私たちは、感動したり共感したりするのでしょう。

 

 

必ずの一致ではないとしても、その瞬間の一部のストーリーや、その時に感じた自分の素直な心からの感覚、(俳優さんの表情や声など)視覚、聴覚、記憶(記憶は5感には含まれませんが、第6感というとスピリチュアルのように分類されることが多いですが、もちろん、その分野の否定どころか、私もとても貴重には感じる分野でもあります。

 

しかしその分野だけにのめりこむ感覚はございません。私は個人的感覚ではありますが、本能的直感も含め、脳内で起こる様々な機能(記憶等も)は、もっと大きく第6感と捉えることもできるのではないかと思っています)奇跡的な自分との人生のマッチングで、感動が巻き起こるのだと思いませんか。照れ

 

 

私はいつも、そんな考えもしない自分の無意識の軌跡をひっさげ、出会える感動という奇跡を楽しみにしながら映画を見に行きます。ニコニコ

 

 

 

私には、私の人生があり、皆さまにも、同じように皆さまの人生がありますよね。

 

そして、私は私の人生の主人公であり、皆さまは皆さまの人生の主人公です。ラブラブ

 

 

誰に何を言われようとも、何と思われようともですよっビックリマーク

 

 

 

 

自分の人生において、自分は主役なのです。それは、誰にも下すことのできない、大事な役目なのです。照れラブラブ

 

 

しかし、それと同時に、自分に関わる人の人生との中では、自分がその人の人生の脇役になることもあるでしょう。照れ

もちろん、観客になることの方が多いかもしれません。ニコニコ

 

 

例えば、買い物に行くと、よく、幼い子供を連れた若いご夫婦を見るとよく感じます。お母さんは子供を気にしながら、買い物も段取りよく進めます。その横をお父さんが子供をあやしながら寄り添う姿を見ていると、大変そうなのだけれど、見ていてなんだか、ほっこりするのです。幸せそうだなと感じるわけです。私はその家族の人生の観客である瞬間です。おねがい

 

 

 

ただの現実でありますが、人生の主役、脇役、観客という感覚は、そういう観点であると思うのです。

 

だからこそ、自分の人生であるからといって、自分だけがこの世に生きているわけなど当然ありませんよね。自分の人生いおいては、もちろん、自分は主役であるのだけれど、社会という環境の中では、常に脇役であり、常に多大にして客観的にという言葉がマッチするように観客であり続けます。

 

 

これは、日本に限らず、現実目線で考えても、冷静に、この地球上、いや、宇宙に存在する生物として、実際の現実の目線ではないかと考えます。ニコニコ

 

 

 

 

「ホンネ」と「タテマエ」といっても、そもそも「ホンネ」=ありのままという感覚も、今ではなんとなく浸透しますが、

 

 

本当に全てそうでしょうか。!?

 

 

そもそも、社会で生きる上で、本当にありのままで生き続けるのは不可能に近いですね。

 

どんなことも受け入れている状態=本当のありのままと言えるように私は感じます。

 

けれど、そんな違いは難しいため、そうですね、個人的には、ディズニーのアナ雪(ありの~~ままの~~♪)は感性として大好きですよ爆  笑ラブラブ

 

 

しかもここで、映画つながりでもう1話 笑♪

 

ハリーポッターと言えば誰もがご存じだと思いますが、そのハリーポッターの役を演じていたダニエル・ラドクリフさん出演の、「ホーンズ」という映画をご存じでしょうか?

 

 

これもまた、何とも表現し難い深い物語でして、恋人を殺されてしまったあげく、その容疑をかけられ、更に誰もの本音しか聞こえないという角が生えてしまう、、という設定なんですね。「どんな設定だよ!!」と、こんな短い数行見た方でも思いますよね!?私は実際に見ながらも思いました!!笑!! 

 

けれど、当然シナリオや流れ全体像は実際に見てもらわないと、その人の感性がありますから^^ 是非気になる方は、よくあるあらすじなどではなく、実際に、本編を見られてくださいね。♪

 

 

人の本音しかきこえなくなってしまう主人公とその人生を客観的に眺めていると、実際の現実と、その設定環境など、本音の関係性など、映画の話なんですけれど、リアルに感じる面があります。

 

 

んーつまり、本音とは、情動としての本能的にある感覚の本音と、自分が意識的に認識している上で、あえて言わない本音(一般的にはこちらが本音として扱われているように思います)があるのだなと、思わされるのです。これも含め、見て頂いたらその違いや自分の普段の世界もまた、見る目が変わる瞬間があるかもしれません。ニコニコ

 

 

それも含めですが、ラドクリフさんの「ホーンズ」は、本音を考える視点が本当に独特なので^^; それは、ちょっとおいておいても、実際ですね、現実のコミュニケーションとは、物語のように終始予定通りにも進みませんし、そのように完結など難しいですね。あたりまえですけれど^^; 笑。 

 

なので、それでも、基礎段階の素晴らしいお話だな、と私は捉えています。照れラブラブ

 

 

 

 

自分の人生があるように、誰もにも同じ人生がある。

 

どんなに苦手だな、嫌いだな、思う人がいても、その人の人生を広げて、その人を待っている家族がいると思うと、それ以上の怒りは広がらないことが多いです。

 

 

そして、このお話をどうしてしようかと思ったきっかけなのですが照れ

 

 

 

カウンセラーとして、今もこれからも常に技法や感覚を学び続けたいと思っている中、「芸術療法」の1つになりますが、「ドラマセラピー」について読本ではありますが、読み進めながら、本当にとても感動したのです。自分の地元でセッションは受けられないかと探したほど。

 

自分の地元では、残念ながらありませんでしたが、

しかし、本当に機会があれば一度受けてみたいです。おねがいビックリマーク

 

ここで、芸術療法(今や、絵画から本当に幅広い世界観があります)への発展に多大な貢献をしたユング(名前は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか)の言葉を1つご紹介させてください。

 

『エロスは本能と精神のよき調和のあるときのみ繁栄する』

 

 

この記事のタイトル、「ホンネ と タテマエ」 も含め、ご紹介した映画等々。含めなのですが、皆さまの心になにか、どんなことであっても、気づき、伝わるものがあれば幸いですおねがい

 

 

 

人生は、誰もがその人にとって、かけがけのない、その人の舞台です。

 

例えば、会社員、父親、母親、子供、学生、どんな役割であっても、普段から、本当の素だけで、過ごしたりはしないですよね。

 

 

その立場、その時の考えで、自分の判断で常に自分を生きてますが、それが全て一貫して自分の考えかどうかを、果たして証明することなど、冷静に考えてどれだけできるでしょうか?

 

つまりよくいう「オンやオフ」だけの視点でなどその人は語れないとも、大いに思うのです。

 

冷静に考えれば誰もがそうだと思うような内容ですが、誰もが普通にこなし続けているのでむしろ問題化されてない、とても問題ある問題でもあるかもしれないとも思います。

 

(けど、そういう意味でも冷静に考えると、ディズニー好きで映画好きな私的には、「ありの~まま~の~♪」映画の中でも、充分ありのままじゃなく、ちゃんと、エルサもアナも、自分の役割あったよねって思ったりもして。だって映画だもんね、けどそんなこといいだしたら感動も何もないですから、そういうことではないんですニコニコ  

ホンネ、本音、または、ありのまま、とは どういうことなのか、どう捉えられ、自分にはどう響くのかも、そういうことの方が大事だし、そして、本当にそれだけか、と問う気持ちも、いろんな部分で大事ではないかと。

※もちろん、そんなこと関係なく私は映画大好きなので、ディズニーもどんな映画も純粋に大好きですよチュー!!)

 

 

上記も含め、自分の人生を大事に生きる意味で、自分の舞台を設定するのは素敵なことだと思うのです。

 

しかし、それ以上に大事な注意事項は、ドラマセラピーの話の前にも書いたように、自分の人生は、誰の物でもなく何より素晴らしいものでありながら、社会の中で、常に脇役と観客者として、同時進行であることを意識する気持ちをもって、その中で、初めて、自分にしかない、または、その人にしかない、本物の花が咲くものではないかと、思うのです。

 

 

 

 

この記事では、「ホンネ」と「タテマエ」と、素と、(誰もの)人生の役割という感覚をリンクさせて書いてみました。ニコニコ

 

 

 

全く同じでも違いもしないと思うのですが、

 

どちらの視点でも何か、感じるものがあるのではないかと思い、書かせていただきました。

 

 

以上です!

 

今日もありがとうございました。ニコニコラブラブ

インプット と アウトプット

MonaKA(モナカ)です。

 

 

 

今日のテーマは、

 

 

英語の、学習、、ではありませんよニコニコ

 

 

 

 

インプット、と、アウトプット、ってそもそも幅広いから、

 

 

そりゃそうだってなるんだけど、一瞬、

 

単語だけ聴くと、やっぱり語学のイメージ強いですよね。

 

 

 

 

 

しかし、もちろん、私たちの日常は、コミュニケーションで成り立っていて、その大事な手段として言語が存在しますから、

 

インプット と アウトプット というセットイメージから、

 

語学の話!?、という感覚発想が生まれると自体は、ある意味自然っちゃ自然でもありますよね^^

 

 

 

ただ、それももちろん当然なんですが、結局、本当に全て。

 

 

本当に全てにおいてそうだよなぁっていう。

 

 

つまり、よく言う、しょせん、入れたものしか出せない。

(身体の便もそうですね。)

 

 

便秘もそうですね。

 

入ってるものの中で、(自分にとって)出すべきものが、出ないから苦しいんです。

 

その、誰でもない、”自分”にとっての、出すべきものが、見つかることも難しいかもですが、見つけたところで、それをどう出せるかも、現実の社会では難しいことも多いのも、また、現実ですよね。。

 

そもそも入っていない(又は入っていないと認識できているにも関わらず)ものを出せないと悩むのは、おおよそ、おそらく、それは幻想でしかありません。

 

 

 

しかし、幻想によっても、とても素晴らしい世界も存在します。

 

 

それは私たちだれもが経験した子供時代、それはどんなに時代が変わろうとも、”うんち(または、うんこ、など、地方や人によって表現の仕方も違いますね。)!!!”に発狂し、羨望を感じるというところです。笑

 

そうです。あくまで、ただ1つの例ではありますが、かっこたる例でもあるのが、”うんち(または、うんこ)”です。

 

 

子供達は、それらが現実的に、人から嫌悪されるということもきちんと認識していながら、自分からも誰からも出ることも分かっています。だからこそ、無意識に純粋に、その存在に、心からカタルシス(浄化)を感じるのです。

 

大人でも、何かの思惑もなく、突然、うんち!っていきなり言われたら、とりあえず、面食らうかもだけど、瞬間的な感覚としては、ちょっと笑ってしまうか困惑してしまうという感覚が適当ではないでしょうか。笑 それくらい、”うんち(うんこ)”の、無意識的、存在価値は偉大なのです笑!!

 

 

 

 

 

えぇ、!?今日は、モナカさん、うんこの話がしたかったのかなぁ? そんな気分だったのかなぁ?

 

いや、楽しいからいいんだけど♪って思われた方がいたとしたら、

 

いや、いないか笑

 

 

 

すみませんwww 勝手なやりとりですが、いや、うんちもうんこも、

 

上に書いた通り、私もカタルシスとしての存在では大好きですよ^^

 

 

別に汚物が好きなわけではないということだけは、確かに伝わってもらえたかと思いますが 笑!!

 

 

 

 

このカタルシス反応は、全てにおいて言えるんですね。

 

 

 

そして、インプットとアウトプットは、バランスももちろん、

 

とても大事になります。

 

 

入れっぱなしや出しっぱなしじゃなく、

 

 

入れたらだし、だしたらまた入れる。

 

その循環が自分にとって、とても心地いい環境が

 

実際とてもいい環境なのだろうと思います。

 

身体もそうですものね。

 

 

 

もちろん、身体的な不要物、上にも書いたように分かりやすい食物の不要物である便(自分の体内の中で、必要な栄養素だけをとりこんで残った残存ですね)もあれば、汗もありますし、涙もあります。カタルシスといえば、涙も大きな位置を占めると私は思うのです。

 

 

社会的には、男性が強いとされる日本ですが、それにより、女性が虐げられる空間ももちろん存在はします。だからといって、男性が虐げられないかといえばもちろんそれも違う。

同じ人間として、それぞれ困難がある。

男性として生まれたから、こんな時は泣いてはならない、がまんせねばならない、多くの男性が昔から今も我慢することが多いのも、日本文化の一部ではないかと私は思います。

 

日本文化は私個人も日本人として大事に護りたいと思う一方、文化を守ることと人の生き方との整合性はまた別次元で考えてもいいのでは、と思ったりします。それを可能にするためにも、本気で日本という国が他国にとってどういう国であるのかを知り、自分たちの誇りを知ったうえで、守るべき文化も進化すべき文化もそれぞれ、本当に進んでいくのではないかと思うのです。

 

 

 

 

涙を流すことは、とても大事なカタルシスです。

 

 

 

本当に大事な涙は、止めるコトなど不可能です。

 

 

それは誰に見せる必要もありませんし、そもそも止めることができません。

 

 

ただ流れるものですから。

 

 

 

せめて、家族が心配する中でくらいは、本当の涙をみせてあげてください。

 

 

言霊とは、魂です。カタチではありません。

 

 

 

真に感情がお互いに伝わった時、本当にそのカタルシスが伝わるのではないかと考えます。

 

 

 

 

何も難しい話でも、特別な世界の話でもなんでもない、日常の世界観の話だと、私は思っています。

 

 

 

 

以上です!

 

今日もありがとうございました。ニコニコラブラブ

 

自分の感情を手のひらに包んだことはありますか?

MonaKA(モナカ)です。

 

 

ちょっとイメージが強めのタイトルにしてみました。

 

 

 

今日のテーマは、

 

 

 

「感情」について

 

 

 

書いてみたいと思います。

 

 

 

誰もが、普通に認知(その存在自体意識)していながら、

 

 

ある意味、その本当の存在については、いちいち深く考えることはない、

 

 

「感情」

 

とは、それくらい、普通に誰もの、今、この瞬間にも、常にそこにあ

 

るもの。ただ、湧き出てくるもの(反応に近いもの)です。

 

 

 

 

 

テレビやCM、ラジオ、または、こうやって他人のブログを見ること

 

があった場合、それらを見ながら、または、その文面を読み進め

 

ながらも、ただ湧き出る思考と、そこから連動されるもの。

 

好意的であったり、否定的であったりから、

 

「いいな」「好きだな」「何かやだな」「それは違う」 などなど。

 

必ずしも、”結論”ではなく、あくまで、その瞬間瞬間に湧き出るものです。

 

 

あ、そういうの、自分もあるけど、多分、誰でも普通にありそうだよなぁって。

 

 

 

そして、

 

 

”感情”とは、

 

 

ただ、湧き出てくる、”直接的存在”でありながら、

 

もちろん、

 

同様に、人の感性において、”客観的存在”でも感じられる

 

 

存在です。

 

 

 

今こうして、そうだよなぁ、って思った瞬間がそうですね。

 

 

私自身も、どちらかというと、子供の頃から感受性が強い方なので チュー汗

 

いつも、自分の主観と客観を、極力、両方行き来するようにしています。照れ

 

 

 

 

”感情”を手のひらに包む

 

 

ためには、その過程はとても大事なポイントとなります。

 

 

 

 

つまり、感情は、ただ湧き出るものであって、

 

 

つかみどころがない、というところを

 

 

ちゃんと自分で受容した上で、

 

 

その瞬間、吟味すべき感情をピックアップして包むんです。

 

 

”包む”と表現したのは、

 

 

例えば、捕まえるとか、捉える、なんていう表現にすると

 

 

その感情がプラスのものであれば、問題ないですが

 

 

マイナスのものであった場合など、

 

まるで警察とかみたいに、

 

尋問を自分が自分にかけるみたいになって

 

しまいかねませんね。

 

 

自分の例なんですけれど、

 

私は、最近、良く知ってる知人からも、その他、信じられる人からも、自分に厳しいところがあると、言われることがあるのですが、

 

 

自分を律することと、責めることは、全くベツモノです。

 

 

私はそう考えているつもりですが、客観的には

 

それでも厳しめにみえるみたいです。

 

 

人の見得る世界なんて、(自分が見ている世界も含め)実際には、どこに正解などあるとも思えず。アテにならないことも多いなぁなんて思います!爆  笑

 

 

確かに、自分の事に関しては、決めたことに対してなど、自分に対して厳しい面もあるけれど、きっちり休むこともしっかりしてるし、人や何とも比べたりもせず、自分の休暇の時間の過ごし方の感覚は大事にしますニコニコ

 

 

これは、私の個人的なイチ例ですが、

 

皆さまも、自分に厳しい方かそうじゃないか、なんていう、

 

漠然とした感覚は判断は難しいのではないかと思います。

 

 

 

例えば、色でいえば、完全なる原色か、無色透明か、

 

なんて、分けられる人の性格や感性が、本当に実在するか、とい

 

えば現実的にありえない、と冷静に考えられますよね。

 

 

 

誰かや何かの基準なんかの判断では、自分を表現なんてできないビックリマーク

 

って思う方の方が、誰もの本音では、大多数だと思います。

 

 

けれど、誰もに感情は存在するのです。

 

もちろん。その人それぞれの感性は、誰に関係なく、

 

もれなく存在するのです。

 

 

こういう時は厳しいけど、こういう時はそうじゃないとか、

 

性格や人格にだけ、無理やり当てはめたりなどせずとも、

 

その場その場での、対応の仕方で、違いがあるのではないかと

 

思います。ニコニコ

 

 

そして、どうして、人それぞれの、その感性や感覚が、どう育って今、そう存在しているのかも。

 

誰かが勝手に憶測で判断することは、難しいことは多大にある。

 

 

”感情”

 

とだけ意味を捉えれば

 

悲しいとか、嬉しいとか、むかつくとか、

 

そういう一般的な人の気持ちだけれども、

 

 

それが、どうして、どのように湧き出てどう変化していくのかは、

 

決して一般化はできない、ということを前提に

 

 

つきあうべき、とても難解で、人間ならではの、人生の”産物”だと

 

私は考えます。

 

けれど、ただ難解なのではなく、

 

 

自分の事も客観的に見つけるようになることが前提であれば

 

 

何かがつながる。

 

 

 

私は、カウンセラーとして、大事にしている感覚です。

 

 

自分自身と向き合い、納得いく答えが出し得ること自体も、

 

そう簡単ではない作業です。

 

それなのに、その作業が、自分とは違う、感覚、環境で生きて過ごされている人(実際、例えば、国内、国外、同じ国内でも、地域が違えば文化も詳細に違ったりします。小さな小さな世界でいえば、同じ会社の部署や、学校の同じクラスのグループであっても。。それでもその人にとっては、とても大きなその人の世界なんです。その人にとっては、その時間、その瞬間が、全てである場合だって普通にあります。)他人であれば、それはその何倍も大変なこと

 

であると考えます。

 

 

自分の事もいつも客観的に向き合えることで、

 

人のことも本当に心から大事に感じられる。

 

 

 

 

その上で、

 

 

今湧き上がった感情は、

 

 

どうして、今、ここにあるんだろう。

 

 

ふと、その感情を、

 

 

捉えるとか、捕まえるというより、

 

 

ふわっと、自分だけの手に包んでみてあげてください。

 

 

誰にいうわけでもない作業ですから照れ

 

 

 

 

そして、自分の中で、その包んだ感情と

 

その感情がそのままそこにいるのかも。

(意識したら、いなくなったりするかもですね爆  笑 

感情なんて、そんなものじゃないですか爆  笑

 

 

けど、その感情に、その瞬間、少し触れようとして気づいた。

 

 

それだけでも、きっと自分には何か大きな改革があるって

 

 

思うんですおねがい

 

 

 

その感情がどんなものであろうと、

 

それを見つめる自分の視点によっては、

 

 

 

飛び立つ場所を待つ小鳥のように

 

 

手のひらを開いても、そこに、

 

自分の感情が”そこにある感覚”を

 

 

感じられそうな気がしませんか照れ

 

 

 

 

 

以上です!

 

 

 

ニコニコラブラブ

「マイナス思考」って本当に悪(アク)!?「マイナス思考」との上手なつきあい方②

MonaKA(モナカ)です。

 

 

 

 

前回記事に引き続き、

 

 

 

「マイナス思考」との上手なつきあい方について

 

 

具体例もふまえ、考えてみたいと思いますニコニコ

 

 

 

些細なことであっても、

 

 

共感できる部分が、1つでもあればうれしいですおねがい

 

 

 

そこで、今日も^^

 

 

心理面の話の前に、自分の話を、

 

ほんの少し程度、させて頂いてもいいでしょうかニコニコ

 

 

 

カウンセラー、または、セラピーという仕事は、

 

検索しても、本当にいっぱいあるなぁ

 

 

と思いながら、自分はその中で、

 

そのカテゴリーで何ができるだろう!?

 

 

と今もそこを一番大事に考えている日々です。

 

 

 

 

どの業界でも、分野でも、、

 

 

メジャーっていうような王道の分野はどこにでもあると思います。

 

 

 

カウンセラーやセラピストに限定せず、

(その捉え方自体も多岐に渡るとも思います)

 

心理という大きな世界観においては、

 

本当に広い広い世界観が存在していて、

 

たとえば占いだったり、

 

スピリチュアル系だったりと。

 

 

改めて、

 

 

心理という大きい大きい分野にも、

 

 

本当に多すぎるくらいの分野が枝分かれに存在しています。

 

 

 

例えば、「心理学」という、学問自体であっても、

 

 

 

臨床(現場に対応した)心理学、であるのと、

 

研究、実験によって解明を目指す認知心理学など、

(学問の分野としては分かれていますが、

実際はどちらかが、はっきり分かれているのではなく、それぞれの歴史や状況が、

分野自体活かし合って存在しあっていますが。)

 

含め、それを細かく分けていっても本当に本当に多様な世界が広がっています。

 

 

 

 

 

その中で、自分が出会い、

 

学んできたいろんなことの中で、

 

 

自分(MonaKA)は、どんなことを、どう伝えられるだろう、どう活動できるだろう、

 

そして、自分はどう伝えていきたいか、そういうことを、常に、今を基準に、未来に向けて順応できる意味で

 

大事にしていきたいと思っていますおねがい

 

 

 

 

誰でもない、

 

 

私の経験と、私自身の言葉で。照れ

 

 

 

 

少しずつ

 

 

MonaKAが、

 

 

カウンセラー、兼、セラピーという職業を持っていること以前に、

 

 

 

この人は、

 

 

 

あぁ、こういう人なのかな、

 

 

いや、こういう人なのかなって

 

 

いやいや、こういうところもあるんだ、

 

 

そういう些細な人間的な部分を知ってもらった上で、

 

 

私の仕事を仕事として依頼してくれるクライエントに

 

 

今後、出会えて行けたらいいなと思っています照れ

 

 

 

 

 

今日のブログもまた1つ、大事に書きたいと思います照れニコニコおねがいビックリマーク

 

 

 

 

 

はじめましてのブログでも書きましたが、 笑

 

 

 

このブログは、無人島からのスタート気分です。

 

 

実際全くそんな感じがぴったりですチュー

 

 

 

誰もみてない。。。とういことが

 

本当に悲観的なこと!?

 

 

だったら、無人島感覚なんて味わえなくないと思えませんかおねがい

 

 

 

またしても、一番最初の記事に戻りますが。

 

 

 

誰も見ていない、ってことは、誰も気にする必要がないっていうことでもあります照れ

 

 

誰の批判もないし^^ 笑ビックリマーク

 

 

 

実際現在、閲覧数、基本 ゼロです   笑照れビックリマーク

 

 

これは、紛れもない事実です 笑  ←せっかく書いた記事が誰も見ていないって、凹む?

 

 

いえいえ 照れ

 

プライベートのブログなども、

 

過去には持っていましたので^^

 

 

そんなこと(閲覧数ゼロ)が通常普通であることは、当然普通に認知していますニコニコ

 

 

それをビジネス上で変えたからとか、

 

 

自分の思いが変わったからで、変わるわけなくて当然なので ニコニコ​​​​​

 

 

 

 

でも、そういうところも、大事に書いていきたいので、

 

もちろん、基本は、メンタルにとって、大事なことを書くつもりのブログですが、

 

タイトル含め、こういう内容を書くつもりです、という流れで

 

そのことを、まるで学問の内容にだけそぐってだけ、書くつもりはないです照れ

 

 

 

あくまで、私が学んだ世界観や経験の上で、本当に自分が責任もっても

 

そうだと思え、そういえることを、大事に書いていきたいのでおねがい

 

 

 

 

だからこそ、その基準に、

 

基本、

 

ただ存在する事実等、または、

 

”他人”などの感覚も含め、

 

”偏”にハマることなく​​​

 

 

型は、大事にしていける感覚を大事にしたいと、改めて思っています照れ

 

 

 

 

 

そこでニコニコ

 

 

初めてのブログ&無人島の話に戻りますが

(将来、何度読み直しても、忘れないよう、しばらく初心は大事に書きたいと思っていますおねがい​​​​)

 

 

たとえ どれくらい閲覧数ゼロが続いたとしても。

 

 

無人島ブログのスタートの気分に大事な感覚をもう一度照れ

(自分に言い聞かせるように)

 

 

今日もゼロだったけど、

 

今日の記事は、結構伝わる人も多いんじゃないかな

 

 

とか、

 

 

たくさん貯めた記事を総合しても、このブログは、

 

 

そこそこ胸張れる内容になってきたんじゃないかな、って

 

 

 

そう思えるようになってからでも

 

 

 

集客対策を、もっと本格化して努力するのは、遅くはないんじゃないかなあって。

 

 

 

照れ

 

 

 

 

そこで、

 

 

本当のニコニコ

 

タイトルの内容に戻りますね。

 

 

 

 

 

「マイナス思考」って本当に悪(アク)!?

「マイナス思考」との上手なつきあい方

 

の②として^^

 

 

実際の今の自分を現実の状況(現実、閲覧数ゼロのブログを、心を込めて真剣に書いてるという照れ)を踏まえ 爆  笑ラブラブ

 

 

 

 

それは、一番わかりやすいと思いますが爆  笑

 

 

 

もうすこし、客観的にも

 

わかりやすい内容も考えていましたニコニコ

 

 

 

 

 

MonaKAの場合のニコニコ

 

具体例からも、

 

あくまで、ひとつの例ではありますが、

 

イメージはできたかと思いますが爆  笑

 

 

 

 

まず、マイナス思考とは

 

 

どんな思考だと思いますか?

 

 

 

誰でもない、自分にとっての、

 

 

過去、今、未来、によって変動はあるかもしれません。

 

 

しかし、とりあえず、今、

 

 

自分にとってのマイナス思考を、具体的に、どれだけ

 

言語化して表現できますか??

 

 

表現するかしないかは

 

人の判断により、

 

それ自体に正解不正解はありませんから、

 

あくまで、

 

純粋に湧き出る気持ちについて

 

フォーカスして頂きたいと思います。

 

 

その想いを自分で確認する為にも、

 

1つの方法として、

 

自分の持っているノートやメモに、

 

ただ書きなぐるだけでもいいです。

(その表現は、可能ならば直筆の方が感覚が自分に

浸透しやすいかもしれませんね。)

 

誰にも言うことではないですし、

 

誰にもわかりませんので、

 

とにかく、表(自分の外側)に出し尽くしてみてください。

 

それがいい内容であれば、ずっと大切にする意味で

 

目の前のボードに飾るのもいいですし、

 

マイナスの内容であるならば、

 

ぐちゃぐちゃにしたり、気が済むくらい引きちぎって破いたり

 

燃やしたりしてみるのもいいかもしれませんね。

 

 

今回はマイナス思考についてですので。

 

 

 

その想いが起きること自体が悪いことではないということ。

 

 

その想いについての、自分の手放し方。

 

 

 

 

 

 

自分に取って大切な、その手放し方が、

 

 

 

あなたにとって、どのような内容か、

 

 

どのような瞬間かなどが、

 

 

これから先にも、大事にみつかるといいなと思いますおねがい

 

 

 

 

 

以上ですビックリマーク

 

 

ラブラブ

 

 

 

今日もありがとうございました照れ