事実 と 結果 と 成果 と 評価

MonaKA(モナカ)です。

 

 

 

今日のテーマは、タイトルからして、

 

硬っ(漢字強めっのイメージ)ビックリマークっていう内容ですネ うさぎ

 

 

そしてこの、4つの二字熟語の羅列を見て、

 

その瞬間、まずどのような感覚がしましたか?または感情が湧き出ましたか?

 

 

 

 

ちなみに、わたくし、モナカは、自分で書きながら

 

できれば 笑

 

極力、見たくない、または、考えたくない、

 

方向(方面)の単語の羅列だと思いましたし、思いますニコ 笑

 

 

 

しかし、それは私の素直で正直な感覚であり、感想でもありますが、

 

それ(極力、見たくない、または考えたくない)が

 

私、モナカにとっての、最終的な判断も含めた、結論や決断(信念)

 

ではありません。つまり、私(モナカ)の、その時の反応ですね。

(※「信念」の意味は、正しいと信じる自分の考え(グーグル辞書)です。)

 

 

特にSNS上など、コミュニケーションの「キャッチボール」不全の根本的原因あるある。。

 

ですけれどもニコニコビックリマーク

 

今、目にした情報のみで、まるで全てを判断したかのような返答を、

 

なげてしまいがち。。という点ですね。

 

もちろん、その情報を見た時の気持ちや感情も、大事な反応です。ビックリマーク

 

 

 

その反応自体も重要なコミュニケーションの1つの素材にはなりますので

 

コミュニケーション自体が成立しないわけではありません。

 

しかし、それは、あくまで、「自分の反応」であるという自覚があると、

 

まるですべての判断かのような結論や決断(自分の信念)までには至らないと思うのです。

 

逆をいうと、それは、自分の「反応」であるという自覚がないと、

 

自分の反応を、それは自分の信念だと、

 

自分が自分に刷り込んでしまう可能性も高くなってしまいます。。うさぎあせるビックリマーク

 

(※「反応」=「自分の信念」である場合も、もちろん大いにあると思います。

しかし、そうではない場合も大いに考えられます。それくらい人間は、毎日毎日、

自分以外の判断や感覚についてジャッジする瞬間が多いからです。

または、コミュケーションがある分だけ、ジャッジされる瞬間にいるということでもあります。

まして、今の情報化社会において考えるとその機会は断然に日々増えています。

引きこもり問題の根本原因も解決策も、この状況の近辺にあると、私は考えています。)

 

 

 

もちろん、現実のコミュニケーションにおいても、意外と、よくよく考えなおすと、

 

日常あるあるなシチュエーションを思い起こすことができるのでは

 

と思います。照れ

 

 

 

 

ここで、タイトルに戻りますねニコニコ

 

 

「事実 と 結果 と 成果 と 評価」

 

1つ1つの二字熟語が、単体で独立して意味を持っています。

 

 

このタイトルをつけた、私のブログ記事では、

 

ぜんぶでひとつのイメージとして、タイトルをチョイスしました。

 

 

ですので、この記事では、

 

ぜんぶでひとつ です。

 

これは、この記事においての、私の表現です。

 

 

 

 

例えイメージはひとつだとしても、

 

 

実際は、1つ1つの単語や存在がありますよね。

 

 

 

その上で、この記事の、この時点で、

 

 

それで、モナカさん、、、何が言いたいのか、よくわからやん。

 

 

ってちょっと思われたかたもいるかも? ショボーン汗

 

 

ですよね。私の表現力も、大いに含めWチューラブラブ

 

 

そういう可能性も多大にあるとは想います。キョロキョロラブラブ

 

 

ですので、もうちょっとお付き合いください爆  笑ラブラブ

 

 

 

もちろん^^

 

 

私がこうして、前提でいろいろ書いたことによって

 

 

真剣に読んで考えてくれた方もいるかもしれません!いや、そういう方とのご縁が

 

たくさんあればよいなと思って書いておりますがっ!!爆  笑ラブラブ

 

 

※根本はその上でも自由な発想、視点で書くつもりです(^^♪)

 

 

 

私のこのブログの趣旨としても、基本的には、心のサプリメントになるような

 

内容を軸にしていくつもりです。

 

タイトルに挙げた、4単語の熟語(事実 結果 成果 評価)は、

 

単一の存在であっても、特に学習(教育面)や仕事(ビジネス面)に特化した表現であると考えます。

 

 

年代や経験、直近の情勢状況も含めた感覚によっても、

 

人それぞれの状況は想定できますし、するべき範疇がありますが

 

人の人生とは、平均的、またはそれ以上の社会の中で生きることを想定するならば、

 

ある程度切っても切れない関係にあると考えられます。

 

「平均的」という概念を想定することも、

 

人の人生において、実際には現実的ではなく、難しいことです。

 

あくまで統計的に世界を判断する意味で流用した表現であることを

 

総合的なイメージとして表現したことをご考慮ください。ニコニコ

 

 

 

 

その意味は、どれほどAIが発達しようとも

(AIの発達は今後も期待値がある分野でもありますが)、

 

本当に人間が人間として生きる意味は、生身の人だからこそ、永遠に規則も法則も、

 

想定もない(AIは常にそれをも想定して学ぶのだが)生き方を大事に、

 

いかほど生きれるかだとも思ったりしたりします。照れ

 

 

 

現実は、事実も 結果も 成果も 評価も

 

全てが絡み合い、自分が納得できるような環境に出会うことは、

 

実際、現実リアルの社会一般的にも、

 

それは、なかなか、、出会うことも難しいことだと考えられます。

 

 

難しくて当然なんです。

 

 

けれども、

 

 

だからこそ、あえて、ひとつのイメージでタイトルにしました。

 

 

 

その意味の先にあることは、なんだろうかおねがい

 

 

 

 

自分の、これからの未来の時間も含めた「タイトル」でもあります照れ

 

 

 

 

最初の、私の純粋な「反応」を

 

 

思いだした上で(思いだして 爆  笑あせる笑)、

 

私の今のこの記事の最終的な表現を、

 

どう受け取ってもらえただろう。

 

 

 

 

それが、私にとって、この記事に込めた大事な意味です照れ