「ホンネ」 と 「タテマエ」
MonaKA(モナカ)です。
そして、今日のテーマは、
日本語の、学習、、ではありませんよ (笑)?
前回に引き続き、単語が対応するようなタイトルですが^^
もちろん、こちらも、日本語の学習というよりは、日本語から広がる日本人の慣習?
に近いイメージも含めて、一瞬、日本語(文化)の感覚に関わる感じですよね。
ですが、「本音と建前」は日本はもちろん、”その感覚”自体は、人間が存在する以上、どの国にも、つまり、どの人(人間)にも、当然どこにでも誰にでもあると考えられます。
しかし、日本という文化は、その意味合いが歴史的文化の中でも、日常の感覚、社会的ソーシャル感覚においても、いまだ、根本においては、特に、色濃く残っている分野も多いと考えられます。
日本語を普段使っている私たちにとって身近な感覚ですよね。
しかし、
学習として学ぶ必要もなく、その意味も理解できているのに、
このことでストレスもたまったりしてしまうなど。
決して無視できない問題ではないかと私は思っています。
そこで、全く視点を変えますが、
みなさんは、映画や舞台劇場などは好きですか?
私は映画が大好きでよく見に行くんです。
映画の中の物語は、中には実話を基にしたものもありますが、
もちろん、多くのジャンルが存在しますから、その、ほとんどが
脚本による作画のストーリーですよね。
けれど、自分の過去と全くどんな設定も一致しなくとも、何故か感動したり泣けてしまう物語はありますよね?
それこそ、ファンタジー系など、現実に考えて、物語のストーリー自体が現実に存在しえない設定や、そもそも実在しないアニメの世界の物語などなど。
なのに、どうして私たちは、感動したり共感したりするのでしょう。
必ずの一致ではないとしても、その瞬間の一部のストーリーや、その時に感じた自分の素直な心からの感覚、(俳優さんの表情や声など)視覚、聴覚、記憶(記憶は5感には含まれませんが、第6感というとスピリチュアルのように分類されることが多いですが、もちろん、その分野の否定どころか、私もとても貴重には感じる分野でもあります。
しかしその分野だけにのめりこむ感覚はございません。私は個人的感覚ではありますが、本能的直感も含め、脳内で起こる様々な機能(記憶等も)は、もっと大きく第6感と捉えることもできるのではないかと思っています)奇跡的な自分との人生のマッチングで、感動が巻き起こるのだと思いませんか。
私はいつも、そんな考えもしない自分の無意識の軌跡をひっさげ、出会える感動という奇跡を楽しみにしながら映画を見に行きます。
私には、私の人生があり、皆さまにも、同じように皆さまの人生がありますよね。
そして、私は私の人生の主人公であり、皆さまは皆さまの人生の主人公です。
誰に何を言われようとも、何と思われようともですよっ
自分の人生において、自分は主役なのです。それは、誰にも下すことのできない、大事な役目なのです。
しかし、それと同時に、自分に関わる人の人生との中では、自分がその人の人生の脇役になることもあるでしょう。
もちろん、観客になることの方が多いかもしれません。
例えば、買い物に行くと、よく、幼い子供を連れた若いご夫婦を見るとよく感じます。お母さんは子供を気にしながら、買い物も段取りよく進めます。その横をお父さんが子供をあやしながら寄り添う姿を見ていると、大変そうなのだけれど、見ていてなんだか、ほっこりするのです。幸せそうだなと感じるわけです。私はその家族の人生の観客である瞬間です。
ただの現実でありますが、人生の主役、脇役、観客という感覚は、そういう観点であると思うのです。
だからこそ、自分の人生であるからといって、自分だけがこの世に生きているわけなど当然ありませんよね。自分の人生いおいては、もちろん、自分は主役であるのだけれど、社会という環境の中では、常に脇役であり、常に多大にして客観的にという言葉がマッチするように観客であり続けます。
これは、日本に限らず、現実目線で考えても、冷静に、この地球上、いや、宇宙に存在する生物として、実際の現実の目線ではないかと考えます。
「ホンネ」と「タテマエ」といっても、そもそも「ホンネ」=ありのままという感覚も、今ではなんとなく浸透しますが、
本当に全てそうでしょうか。!?
そもそも、社会で生きる上で、本当にありのままで生き続けるのは不可能に近いですね。
どんなことも受け入れている状態=本当のありのままと言えるように私は感じます。
けれど、そんな違いは難しいため、そうですね、個人的には、ディズニーのアナ雪(ありの~~ままの~~♪)は感性として大好きですよ♪
しかもここで、映画つながりでもう1話 笑♪
ハリーポッターと言えば誰もがご存じだと思いますが、そのハリーポッターの役を演じていたダニエル・ラドクリフさん出演の、「ホーンズ」という映画をご存じでしょうか?
これもまた、何とも表現し難い深い物語でして、恋人を殺されてしまったあげく、その容疑をかけられ、更に誰もの本音しか聞こえないという角が生えてしまう、、という設定なんですね。「どんな設定だよ!!」と、こんな短い数行見た方でも思いますよね!?私は実際に見ながらも思いました!!笑!!
けれど、当然シナリオや流れ全体像は実際に見てもらわないと、その人の感性がありますから^^ 是非気になる方は、よくあるあらすじなどではなく、実際に、本編を見られてくださいね。♪
人の本音しかきこえなくなってしまう主人公とその人生を客観的に眺めていると、実際の現実と、その設定環境など、本音の関係性など、映画の話なんですけれど、リアルに感じる面があります。
んーつまり、本音とは、情動としての本能的にある感覚の本音と、自分が意識的に認識している上で、あえて言わない本音(一般的にはこちらが本音として扱われているように思います)があるのだなと、思わされるのです。これも含め、見て頂いたらその違いや自分の普段の世界もまた、見る目が変わる瞬間があるかもしれません。
それも含めですが、ラドクリフさんの「ホーンズ」は、本音を考える視点が本当に独特なので^^; それは、ちょっとおいておいても、実際ですね、現実のコミュニケーションとは、物語のように終始予定通りにも進みませんし、そのように完結など難しいですね。あたりまえですけれど^^; 笑。
なので、それでも、基礎段階の素晴らしいお話だな、と私は捉えています。
自分の人生があるように、誰もにも同じ人生がある。
どんなに苦手だな、嫌いだな、思う人がいても、その人の人生を広げて、その人を待っている家族がいると思うと、それ以上の怒りは広がらないことが多いです。
そして、このお話をどうしてしようかと思ったきっかけなのですが
カウンセラーとして、今もこれからも常に技法や感覚を学び続けたいと思っている中、「芸術療法」の1つになりますが、「ドラマセラピー」について読本ではありますが、読み進めながら、本当にとても感動したのです。自分の地元でセッションは受けられないかと探したほど。
自分の地元では、残念ながらありませんでしたが、
しかし、本当に機会があれば一度受けてみたいです。
ここで、芸術療法(今や、絵画から本当に幅広い世界観があります)への発展に多大な貢献をしたユング(名前は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか)の言葉を1つご紹介させてください。
『エロスは本能と精神のよき調和のあるときのみ繁栄する』
この記事のタイトル、「ホンネ と タテマエ」 も含め、ご紹介した映画等々。含めなのですが、皆さまの心になにか、どんなことであっても、気づき、伝わるものがあれば幸いです
人生は、誰もがその人にとって、かけがけのない、その人の舞台です。
例えば、会社員、父親、母親、子供、学生、どんな役割であっても、普段から、本当の素だけで、過ごしたりはしないですよね。
その立場、その時の考えで、自分の判断で常に自分を生きてますが、それが全て一貫して自分の考えかどうかを、果たして証明することなど、冷静に考えてどれだけできるでしょうか?
つまりよくいう「オンやオフ」だけの視点でなどその人は語れないとも、大いに思うのです。
冷静に考えれば誰もがそうだと思うような内容ですが、誰もが普通にこなし続けているのでむしろ問題化されてない、とても問題ある問題でもあるかもしれないとも思います。
(けど、そういう意味でも冷静に考えると、ディズニー好きで映画好きな私的には、「ありの~まま~の~♪」映画の中でも、充分ありのままじゃなく、ちゃんと、エルサもアナも、自分の役割あったよねって思ったりもして。だって映画だもんね、けどそんなこといいだしたら感動も何もないですから、そういうことではないんです
ホンネ、本音、または、ありのまま、とは どういうことなのか、どう捉えられ、自分にはどう響くのかも、そういうことの方が大事だし、そして、本当にそれだけか、と問う気持ちも、いろんな部分で大事ではないかと。
※もちろん、そんなこと関係なく私は映画大好きなので、ディズニーもどんな映画も純粋に大好きですよ!!)
上記も含め、自分の人生を大事に生きる意味で、自分の舞台を設定するのは素敵なことだと思うのです。
しかし、それ以上に大事な注意事項は、ドラマセラピーの話の前にも書いたように、自分の人生は、誰の物でもなく何より素晴らしいものでありながら、社会の中で、常に脇役と観客者として、同時進行であることを意識する気持ちをもって、その中で、初めて、自分にしかない、または、その人にしかない、本物の花が咲くものではないかと、思うのです。
この記事では、「ホンネ」と「タテマエ」と、素と、(誰もの)人生の役割という感覚をリンクさせて書いてみました。
全く同じでも違いもしないと思うのですが、
どちらの視点でも何か、感じるものがあるのではないかと思い、書かせていただきました。
以上です!
今日もありがとうございました。